で、この前すき家(たぶん、はじめて)行ったんですよ。いいですね、すき家!今回頼んだのは、ねぎ玉牛丼豚汁セット(並)。頼んでから、約3分30秒、出てきたのは器が若干デカめで、中身と器のバランスに余裕のある豚汁(これはおこちゃまが汁をこぼさないという配慮か?!)と、ねぎ牛丼と卵と卵の黄身と白身を分ける機械。何、あれ?凄いね、アレ。アレ、わざわざ黄身と白身を分けるために金物工場に発注して、全国のすき家にある訳?たぶん全国のすき家に1万個はあるね。でも、アレ、居らね。
だって、普通卵ご飯を食べるのに黄身と白身を分けて食べる?黄身の持つ「コク」と白身の持つ「とろみ」が相まってはじめて卵ご飯として成立するわけでしょう?ねえ、会場のみんなー。卵ご飯かっ込む勢いでねぎ玉牛丼もかっ込みたいでしょう!そうでしょう!
だから、卵割ってそのままねぎ玉丼にぶち込んだ。ぶち込んでやったさ!
で、かっ込んだ。いやー、美味かった!個人的には隠し味のコチュジャンは要らないけど、ねぎのシャキシャキ感がオージービーフが持つ肉のムダな弾力性をうまく相殺し、かつ「弾力、いいじゃん!」というレベルまで肉を持ち上げていて、とてもいい重奏を奏でていたよ。まるでおしどり夫婦のようにね。
すき家は吉野家とは全く逆の「こだわり」を持っている。つまりは「こだわりを捨てる」というこだわりを持っているのだ。「食」とは何か?牛丼とは何か?という永遠のクエスチョンに真っ向から立ち向かった結果がこのメニューの豊富さ。奇抜なメニューの数々に現れているのではないだろうか。
食とは「心の動き」である。それは素晴らしい映画を見たときや素晴らしい音楽を聴いたときや、素晴らしいセックスをしたときと同じ輝きを放つものだ。そういう意味ではすき家はよくわかっているし、時代に対してとてもシビアな目を持っている。すき家、○○○(寒いから伏せます)!
とりあえず次は、ハーブチーズ牛丼豚汁セットをかっ込みたい、と思っている。
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