
「あ、オレ枡本です」
■あ、植木と申します。あの、青い部屋ってはじめてですか?
「(リハ後に差し上げた水を飲みながら頷く)」
■どうですか、先ほど(リハを)やってみて。
「あの、担当の石田さん(注:当イベント首謀者のいっしーさん)がすごい丁寧にしてくれて、やりやすいです」
■場所の感じとかはどうですか。独特じゃないですか。
「そうっすね。なんかシャンソンのとこやって聞いてたから、どんなとこかなと思っとったけど、すごい面白そうで安心しました」
■あの、僕が初めて枡本さんのライブを見たのは、今年1月の破壊宙というイベントで、とにかくすごい衝撃を受けたんですよ。
(ステージの)下に降りてやられてたじゃないですか。で、ギターやってボイス・パーカッションやって、サンプラーも凄い音出てたし、とにかく今まで見たことない表現だったんですよ。それで、僕が石田さんとかに『いいよ』って言ってたんですけど。
「あ、そうなんですか?たまたま石田さんに会ったって感じだったんですけど」
■今日やるアウラノイザズが以前六本木スーパーデラックスでやってて...(注:詳細を説明しようとしたが、偶然出会ったというドラマに感動したらしく話を遮られたので流す)
「ホントたまたまですね。凄いすね」
■音楽遍歴について聞きたいんですけど。
「素晴らしい!やっと音楽的にね、注目を」
■ははは。プロフィールを読むと「60年代から70年代の音楽を聴き育ち」と書いてあるんですが、どんな音楽を聴かれてきたんですか?
「やっぱ、ジミヘンとビートルズ。はじめビートルズが入り口で、ジョンがプレスリー好きなのを知ってプレスリー聴いたり。ま、プレスリーは50年代なんやけど。あと、ジャニス(注:たぶんジョプリンのほう)とか、レッド・ツェッペリンとか。マイルスも聴いてたけど。あと、ドアーズ。はじめはカルチャーとして入ってきて。小学生だったから。学校と家しか知らない人が聴いたらね。LSDだのフリー・セックスだのと。これは面白いのがあるぞ、と。こんな世界があるのか、と。そういうことですよ」
■それで、そういう音楽を聴いてすぐ自分でもやりたいと思われたんですか?
「ギターが落ちてまして、粗大ゴミ捨て場に。それで。(注:このへんについてはindies issue Vol.26に詳しく載ってます)」
■今のライブを見てますと、サンプラーだったりとか、ボイス・パーカッションだったりとか、ピアノだったりとか、いろいろやられてますけど、それは何かきっかけがあったんですか?
「バンドがやりたかった」
■それはギター以外の音を求めていたということですか?
「ビートが欲しい」
■それだったら、直接バンドをやればいいと思うんですけど。
「やってたけど。中学生の頃にオレがみんなにこうしてくれ、ああしてくれって感じでやってたけど...そのあと、バンドメンバー募集しとったんやけど、全然人が来なくて。バンド組みたかったけど組めなかった。で、常に募集中」
■今も募集中?
「あ、もちろん募集中」
■ピアノは独学ですか。
「あ、ピアノは一応習わされてたけど、全然真面目にやってなかったから、自分でジャズ的にやりだしたのしか身についてない」
■それは自然に弾きだしたっていう。
「作曲で使いだしたっていう感じ」
■さっきリハを見させていただいたんですけど、毎回違う曲をやられてて、同じ曲をあまり聴いたことがないんですけど。常に新しい曲は作られているんですか?
「あの、同じ曲をバラしてやったりしてるから多分違う曲に聴こえるんだろうけど。サンプラーが調子悪くて(メモリが)飛んじゃうんですよ。今レコーディングしてて、オレはライブでその場その場でやれることを追求してたから、曲作んなきゃいけなくて。時間がかかるなあと。だから、他の人はだいたいライブでやってる曲をレコーディングするじゃない?でも、オレはそういうのじゃねえから」
■どういうアルバムに仕上がりそうですか?
「それはもう面白い。形態も面白いし。それはまだ言えませんけど(笑)。1曲目から10曲目まで入ってるっていう感じのアルバムじゃないから。あの、オレのライブもいろいろ混ざってるじゃないですか。いきなり叫んだり、いきなりインストになったり。だから、そういうアルバムになります」
■どういういきさつで出ることになったんですか?
「オレが出したいと思ってて。で、出したいと言ってくれる人がいて、それが実は大阪と東京で2人いたと。それで、じゃあみんなでやろうかと」
■大阪のレーベルと東京のレーベルで、
「の架け橋にオレがなったと」
■それは凄いですね。
「アルバムを出すまでのプロセス自体も面白いし。共同で出資して1枚のアルバムを1人の人間で出すという」
■それは秋くらいっていう予定ですか。
「うーん、頑張ってねえ...頑張んなきゃいけないけど。レコーディングしなきゃいけないけど、ライブに来てるし」

■(フジテレビ系列の音楽番組)FACTORYに出られたじゃないですか。僕はテレビで見たんですが、あそこの客ってほとんど枡本さんのことを知らなくて、音を聴いたことがなかったと思うんですが、すごい盛り上がっているように見えていて。
「音は全部出たら平等やから。音は平等やから」
■今日もたぶん知らない人が、まだ聴いたことない人が来ると思うんですけど。
「そうね。なんかね、こんなにね、イベントもたくさんあるし、渋谷に人も多いし、こんなに音楽が溢れまくっているなかで、わざわざ来てくれるなんてね」
■そうですね。ありがたいですよね。今は大阪に住われているんですか?
「尾道なんだけど、今はほとんど大阪と東京だから、月の半分もいないかな」
■東京と尾道の違いってありますか?
「あー、もう大概違う。商店街はもう6時には閉まるし、テナントが余りまくってるし、リズムが違うし、街が抱えてる問題も違うし、気候も違うし、食べ物も違うし、規模も違うし」
■東京(や大阪)でライブをやることによって、何か動かしたいことはありますか?
「東京とか大阪とかは器だから。都会は器で、そこでライブをやることによって世界中にバラまかれるわけやから」
■東京イコール世界ということですか?
「いや、そういうことではない。オレは東京が一番地方だと思うから...でも、思ってることがあったら、それを実現するのが人生だと思ってるから、そういうふうには、なってきたし、やっていくから」
■それは、なんで枡本さんはできるんだと思いますか?今の若い人って、そういうやりたいことができなくて(できない自分や社会に対して)不満を持っている人はたくさんいると思うんですけど。
「でも、ちっちゃい時って好き勝手にやるじゃないですか。それを親とか周りにいる人が潰してしまうだけであって、もともと人の欲求っていうのは人それぞれすごいあるから。だから、得意なことがあるなら得意なことをすればいいし、違う得意なことを持っている人同士が自分の用事で得意なことをしていけば、それが仕事として成り立つのが、オレは一番いいと思う。でも今は、大概仕事してるのは人の用事じゃない?人の用事して金を貰ってる。だからそれで空しくなるんだと思う。あんまり教えられてないんじゃないかな。日本で『人生はいい』っていうのを。特に東京はそうなのかも知れんけど。『自分で作れるよ、好きにできるよ』っていうすごいシンプルなことを大人は言わずに『どこの会社に入れ』とかさ。そういうことしか言わないから、育ってないんじゃないかな、人が」
■それは(日々生きていると)ネガティヴな部分ばかり見えてしまうからじゃないですか?
「ん?ん?何に対して?」
■んー...社会全体に対して。
「でもね、社会なんてないから。だって渋谷なんて人多いけど、全員違うんよ。考えてることも違うし、感じ方が人それぞれ違うし、人それぞれ人生が違うし、道歩いてて感じる感覚も違うし、人生の時期も違うから。だから結局何となくみんな社会っていうのがあるような気持ちで、同じ時代を生きている振りをしてるだけであって、結局は自分自身が感じることで生きていくしかないって思ってる」
■枡本さんてそういう哲学的とも思われるようなことを言われる印象があるんですけど、それがあまり音楽にフィードバックされないと思うんですが、それは意識してやられているんですか?
「音楽はね、メッセージじゃないから。音楽は音楽をやればいいし、ライブは、オレは単純なことをやってて。オレはライブをやってて、オレはギターを弾いててっていうのが、逆にいなくなってるっていう気がする。だから人が聴いて、よりダイレクトに響くところがあるかもしれないし。それに、音楽がメッセージとか1つの価値に染まったり利用されたりするのが嫌いだから、オレにとっては景色とかでしかないから。興奮とか感動とかそういうもんやから」
■今日はどういうライブになりますか?
「ま、見てのお楽しみということで」
■また、凄いライブを見れるのを楽しみにしてますんで。アルバムも楽しみにしております。ありがとうございました。
「ありがとうございました」
2006年5月21日 渋谷青い部屋にて
インタビュー:植木孝之
写真:石田雅裕
枡本航太 biography(from macaroni records)