★父ちゃんの詩
眉間にしわをよせ、ぐーっと息を飲み込み、さっき俺の父ちゃんが死んだ。
あんなに強かった父ちゃんが死んじまった。
ここは駒沢、国立東京医療センター802号室。心電図、血圧計、酸素吸入器、鎮痛剤、点滴の針が突き刺さっている。人生の最後を迎える決死の戦いだ。
ぞくぞくと父ちゃんを死なせまいと仲間たちが集まり、耳元で叫び、足を手をさすり、温めてくれている。「そうだ、父ちゃん! 父ちゃん頑張れ!!」。それに2、3度答えるかのように、父ちゃんは大きく息をした。
血圧急降下。
白衣を着た医者たちも慌ただしく動き回る。さらに呼吸停止間近のため、血圧上昇剤投入、また針が突き刺さる。瞳孔開きっぱなしの瞳で、父ちゃんは何かを探している。
それは6年前天国へ逝った、愛する母ちゃん、「マス子」だ。
俺は人垣をするりとすり抜け父ちゃんの耳元に、かしずいた。1分間に10回も呼吸をしなくなった。
「もういいよ、父ちゃん…見えるね父ちゃん、1人じゃないよ父ちゃん…みんながいるよ父ちゃん。大丈夫だから…安心して。ゆっくりでいいから息をして、そう、そうだ、息をして」
「父ちゃん!父ちゃん!!」。姉ちゃんが泣き叫ぶ。「じいちゃん、がんばれ、がんばれ」。文音(長女・あやね)が、航(長男・わたる)が、蓮(二男・れん)が。そしてみんなが「がんばれ、がんばれ」。
さらに俺は、父ちゃんの耳元で続けた。
「母ちゃんが見える? 父ちゃんが大好きだった母ちゃん見えるやろ、そのままゆっくり息をして、母ちゃんのところへ行っていいよ。ありがとう、父ちゃん…」
4月23日午後10時28分、邦治呼吸停止。
命がけの生との戦いが今、終わった。
「生に勝ったな、父ちゃん」
「生きるに勝ったな、父ちゃん」
「命懸けで生きるに勝負挑んだな、父ちゃん」
柔道五段の大きな背中がこんなに小さくなっても、最期の最期まで生に勝ったな、父ちゃん。俺はマルボウ捜査第4課だった人情刑事の親父に敬礼した。
「父ちゃんご苦労様でした…」
「俺を育ててくれてありがとうございました」
「最期まで息をしてくれてありがとうございました」
そんな父の勇姿に俺は泣けて泣けてしょうがなかった。感謝の念が、こみあげてきた。
集まってきてくれた仲間たちの、大きな大きな優しさがたまらなくうれしかった。そして俺にとってこの父ちゃんが、誇りだったのだと痛感した。
俺が幼い頃柔道五段の黒帯で父の背中におんぶされ、125ccのバイクで、海沿いを突っ走ったあの夏の日の海を想い出した。二人で指宿宮ケ浜に座り、遠く水平線を見つめるおやじの横顔を想い出した。
タバコをくゆらせながら、さらに遠くの水平線を見つめる、おやじの横顔を思い出した。
不意に俺を抱きしめ、「つよし、泳ぐか!」 「うん!!」。夕日が沈むまで、はしゃぎ、笑い、おやじの背中に乗り、肩によじ登り、海へ空へ大きく飛び込み、股をくぐり、浮かんでは沈み、沈んでは浮かび、俺は、でっかい父ちゃんのそばで小さな魚になった。そう、夕日が真っ赤に染まるまで…。
母ちゃんよりも限りなく優しかった父ちゃん。やっぱ、俺はさびしいよ父ちゃん。俺を叱ってくれる人は、何処にいるの? 父ちゃん?
死は音もなくやってきたけれど、父ちゃんは、「ハーッ、ハーッ」という、人間の呼吸の音を高らかに奏でながら、生を主張し続けた。
しかし、命は儚い。儚いからこそ美しい。父ちゃんは桜の花だな。
花の命は見事に短く、瞬時に咲き乱れ、音も立てず、あっという間に散る。美しいのは花の色でもなく、形でもなく、桜という響きでもなく、儚さを知っていながらも咲こうとする、生命力が美しいのだ。
花も木々も鳥も牛も豚も虫けらも、そして我々愚劣な人間も同じだ。儚さは悲しい。しかし、悲しみは力に変わる。
まぎれもなく、俺の父ちゃんは、もくもくと空へ噴煙を撒き散らす、桜島だ! 鹿児島錦江湾に、そびえ立つ、燃ゆる生きた桜島だ。限りなく、優しく、岩のように強い桜島だ。
天国に旅立つ、父ちゃんに、再度俺は敬礼をした。「父ちゃん見てろよ」。俺はさらに、人間賛歌を創り、吠え、高らかに、そしてけだかく、歌い続けよう!!
そして、あなたの元へ、いつか必ず向かう。
待ってろよ、オヤジ。
合掌