今月のミュージックマガジン(8月号。ギターウルフ表紙)に載っていた、石井恵梨子氏執筆のくるりライウ゛評はなかなか興味深かった。僕は以前
ここで、『ベテラン・バンドの予定調和で終息するライヴを見ているような感じ。バンド内部では、色々葛藤があるのかもしれないが、それが全く表に出て来ない、メンバー同士のぶつかり合いもない、極めて安全なライヴだった。』と書いた。それは今でもそう思ってはいるのだが、石井氏はライウ゛評で『あと一歩で古典的ハードロックの世界、という瞬間は随所に感じられた。しかしそこにストップをかけるのが岸田繁のウ゛ォーカル』(ミュージックマガジン8月号より引用)と書いている。
なるほど。そういう考えには気付かなかった。というか僕の洞察力不足だったのかもしれない。くるりというバンドは良くも悪くも岸田繁という秀才がバンドの舵を取っていると思う。ライウ゛でもそうだと思っていたし、以前観たライウ゛(まだモックンがいる頃)ではそういう印象だったのだが、この前観たライウ゛では、岸田があくまでバンドの1員として、くるりのメンバー4人分の1としてしか機能してないとしか思えなかったのだ。岸田が爆発しないことによって、僕にはくるりというバンドが本来持っている、生々しい毒々しさを削いでいる気がしたので、残念だった。それが、石井氏によると、それは僕の持論とは全く逆のベクトルで展開されているということに興味が湧いたし、なるほどと思ったし、悔しい、とも思った。
ただ僕は武道館ライウ゛を観てないので、もしかしたら僕が観たZEPPでのライウ゛と武道館のライウ゛での出来が雲泥の差だったのかもしれない(特に岸田の出来が)。と、今更ながら観に行かなかったことに後悔してしまうのだった。
次にくるりのライウ゛を観る時はその辺に注目して観ようと思う。