2006年05月10日

面白スパ無再び。

 「すぱむ」を変換したら「スパ無」になってなかなかいい感じだったのでそのままにしてみました。

 僕はこのブログに貼り付けているヤフーメールのアドレスに送られてくるスパ無メールを(ヤフーメールはちゃんと普通のメールとスパ無メールを振り分けてくれる。ま、他のところもやってくれるか)まず題名で面白そうなやつは選別して残しておいて、そのあとに中身を読んで面白いのは残して迷惑メールフォルダに常備しておくという、とても気持ち悪いことをしているのですが、そのなかでも選りすぐり(ふみえ)の面白いやつを発表してみようと思います。あまり期待せずに右手をちんこ(またはまんこ)に軽く添えながらでも読んでください。読めばいいじゃん!

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2006年02月28日

「面白スパム」というメディア。

a site without a viewより。

 このスパム、僕のところにも来ましたよ。「お口で占い」という手口は新しいなあ、と思ってちゃっかり保存しておいたのですが、そう感じていたのは僕だけでなかったようです。

 毎日クソの掃き溜めの如くメールボックスに溢れるスパムメールというものは、どーせ冴えないヤツが日々の小銭稼ぎに適当なことを書き、マルチポストしている程度なんだろうなと思っていましたが、こういうエロと流行の隙間というか、うまいことを書く人もいるんだなと目から鱗が落ちました。近いうちにスパム作家というジャンルが出来るかもしれませんね。未来の三島賞作家(芥川、直木賞はさすがに無理だと思う・笑)がそこに埋まっているかもしれませんよ!
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2005年10月18日

記事数稼ぎ。

生協の白石さん

■『生協の白石さん』書籍化

以下、アマゾンレヴューより転載。

出版社 / 著者からの内容紹介
東京の西に、なんでも答えてくれる人がいる。心温まる、人と人とのコミュニケーション「生協の白石さん」単行本になって登場!!

東京の西、多摩地区にある東京農工大学。この学校の生協で働く職員、白石さんが今各メディアの注目を集めています。『一言カード』という質問、要望コーナーで行われる楽しいコミュニケーション。どんな問いでも一生懸命に答えてくれる白石さんの姿は共感を呼び、白石さんはとんでもない人気者になってしまいました。この白石さんと学生たちのやりとりの記録が満を持して本になります。本には厳選された「一言カード」と、白石さん自身による解説が収録。単行本『生協の白石さん』、お見逃しなく。

目次
■「生協の白石さん」現象とは?
国立大学法人東京農工大学の生協には「一言カード」という、学生の要望や商品の感想を生協に伝える投書コーナーがあります。生協は学生の福利厚生面をサポートし、より豊かな学生生活を送ることができるように支援する組合。「一言カード」ではそうした活動の一環として学生の声を取り上げているのですが、中にはちょっとハズレたものもあるわけです。
通常ならば無視されるであろうこうした投稿ですが、しかし農工大生協の白石さんは違いました。いかなる投稿にも白石さんは意外な切り口を見せながら真面目に回答を執筆。その機知に富んだ面白い回答に驚いた学生たちがWebで白石さんの「一言カード」を紹介。各メディアが注目することになる「生協の白石さん」現象はここから始まり、白石さんはとんでもない人気者となってしまいました。
どんな質問にでも答えてくれる白石さん。その誠実な回答ぶりからは笑いとともに人柄の暖かさが伝わってきます。一言カードを厳選、本にした『生協の白石さん』、ぜひお読みください!!


以下、生協の白石さん問答画像より。

白石さん1

白石さん2
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2005年09月15日

ありのままの説得力。

東京タワー

 現在ベストセラー中のリリー・フランキー(以下、リリー)著の『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を読んだ。素晴らしかった。泣けた。

 僕は以前から、リリーは「笑わせる文章」を書かせたら右に出るものがいないと思う程の数少ない貴重な書き手だと思っていたのだが、今作は「笑わせる」に加えて「泣かせる」文章も書き「読ませて」いる。リリー・フランキーという『東京タワー』以前は「ココリコミラクルタイプ」出てた人とか、エロく下らないが笑える文章を書いていた人とか(僕はこの辺)、中原昌也の連載に付いてくるイラストを描いていた人、くらいにしか印象がなかった人の著書がこれだけ売れて受け入れられている状況。それは、リリー自身が「笑い」、「泣く」人生を過ごしてきたからであり、その人生を通して(いつも彼の心の中にいて)いつもそばにいたオカン、そして、時々、いたオトンを自分のフィルターを通して、ありのままの分りやすい、ストレートな文章で書いているからだと思う。

 人間というのは(僕も含めて)自分の能力、生きざまを等身大よりも大きく見せてしまいがちだ。だがリリーは、オカンに対して常に等身大のまま接してきたし、そうせざる負えなかった。そして、オトンに対してはちょっと背伸びして生きてきた(それが、オカンが亡くなってから逆転するのだけども)。その生き方(特にオカンに対しての接し方)が今の日本では、なかなか受け入れがたいものであるという風潮に疑問を投げ掛けている。それは、社会全体への異議申し立てとかデカいものの言い方ではなく、あくまで、リリー個人的な疑問として。それは、この著書自体がリリーの自伝的な内容だからということもあるのだけども、どこかえらぶって、それこそ自分を誇大化して書かれた、どこかのお偉いさんの著書よりも余程説得力があるし、内容も身につまされるし、それだけ心にも響く。それがこの書の素晴らしいところだと思う。

 あと、この著書に隠された裏テーマとして、現在の医療システムへの不満、自分が書いた文章が雑誌掲載前に先方に検閲されてしまうことへの不満、東京に巣食う闇などが描かれていることも注目したいところだ。
 
 ともあれ、この著書はオカンに対して、少なからず負い目を感じている全ての(特に)男性諸君に読んで欲しいと思う。いつも迷惑かけてゴメン。母ちゃん。まだ、直接言えないから、ここで日頃の母親への感謝の言葉として返させて頂きます。
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2005年01月24日

『ビーチク物語』終了。そして新連載『まいうー物語』。

ビーチク物語

 マンガ界の鬼才、漫☆画太郎画伯が雑誌「クイック・ジャパン」で連載していた『ビーチク物語』が前号で終了し、最新号から『まいうー物語』になっていた。

 『ビーチク物語』はとても常人では書けないであろう、天外奇想な奇天烈さで随分笑わせて貰った。簡単に言うと、下らな過ぎ。もっと続きが読みたかったので残念ではあるが、全3話をビーチクのみ(1話では導入部もあったので、実質2話分)で引っ張る☆画太郎画伯のミニマミズムに感服した。

 何の前触れもなく、その『ビーチク物語』は終了し、最新号に登場したのは『まいうー物語』。『ビーチク物語』の強烈なインパクトを引きずっている僕としては、☆画太郎画伯では良くあるパターンの作風な気がしたので、ちょっと不満だった。これは、1話で終わるのではないだろうか。

まいうー物語
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2004年10月11日

VOREDOMS/V∞REDOMS

スタジオボイス

 スタジオボイス11月号のボアダムス特集は面白い。特にヤマタカアイ・インタヴュー。先日、落雷音(サンダー・サウンド)を受けてのボアへの影響、新幹線ヒカリ号とのぞみ号の移動中のリズム影響など。森羅万象から音楽(絵にも)へ変換していく能力。それを至極ナチュラルにこなしている(というか体得している)アイは凄い。だからこそボアのような音楽が生まれるのだろう。
 その3ページ先のヨシミと宇川直宏の対談も面白いが、その23ページ先の山本精一のインタヴューも最高だ。僕は今年のフジロックでの思い出波止場ライウ゛を見て衝撃を受けた1人なのだが、音楽でメシを食っていながら、音楽といい距離感を保ち、音楽を振り回している感じがする。良い意味で愛着がないから、何でも出来るのだと思う。この2者のインタヴューを読むだけでも元取れます。
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2004年07月22日

タマネギのチカラ。

 今月のミュージックマガジン(8月号。ギターウルフ表紙)に載っていた、石井恵梨子氏執筆のくるりライウ゛評はなかなか興味深かった。僕は以前ここで、『ベテラン・バンドの予定調和で終息するライヴを見ているような感じ。バンド内部では、色々葛藤があるのかもしれないが、それが全く表に出て来ない、メンバー同士のぶつかり合いもない、極めて安全なライヴだった。』と書いた。それは今でもそう思ってはいるのだが、石井氏はライウ゛評で『あと一歩で古典的ハードロックの世界、という瞬間は随所に感じられた。しかしそこにストップをかけるのが岸田繁のウ゛ォーカル』(ミュージックマガジン8月号より引用)と書いている。
 なるほど。そういう考えには気付かなかった。というか僕の洞察力不足だったのかもしれない。くるりというバンドは良くも悪くも岸田繁という秀才がバンドの舵を取っていると思う。ライウ゛でもそうだと思っていたし、以前観たライウ゛(まだモックンがいる頃)ではそういう印象だったのだが、この前観たライウ゛では、岸田があくまでバンドの1員として、くるりのメンバー4人分の1としてしか機能してないとしか思えなかったのだ。岸田が爆発しないことによって、僕にはくるりというバンドが本来持っている、生々しい毒々しさを削いでいる気がしたので、残念だった。それが、石井氏によると、それは僕の持論とは全く逆のベクトルで展開されているということに興味が湧いたし、なるほどと思ったし、悔しい、とも思った。
 ただ僕は武道館ライウ゛を観てないので、もしかしたら僕が観たZEPPでのライウ゛と武道館のライウ゛での出来が雲泥の差だったのかもしれない(特に岸田の出来が)。と、今更ながら観に行かなかったことに後悔してしまうのだった。
 次にくるりのライウ゛を観る時はその辺に注目して観ようと思う。
posted by 植木孝之 at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 読本、読雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月20日

うーん。

 ロッキング・オン・ジャパン最新号(7月号)にiPodの広告とiTunesのインストーラCDがあるんだけど、その見開きの隣がCCCDの広告なのは、激しくどーかと思うのは僕だけだろうか?しかもそれは奥田民生のニューシングルでハッキリとCCCDと記載されているものだ。これはギャグか?
 そこら辺は、いくらシステマティックに広告を決めているとはいえ、配慮して貰いたいものである。

追記→この記事はMacサイドと奥田サイドを批判しているわけではなくて、雑誌内で広告を共存させるならともかく見開きでiPodに入れることが出来ない(とされている)CCCDレコードの広告を載せている側(メディア。今件ではロッキング・オン・ジャパン)に対しての批判、又は懸念の記事です。
 因みに奥田民生はCCCDに対して懸念(特に音質に対しての)を表明していて、CCCDと音のみのDVD(DVDオーディオではない)を実験的に販売しています。R横町内関連記事。ワッツイン最新号(7月号)のインタヴューでは、『(レコード会社と)もめてますよ。もちろんCCCDはCCCDで理由もあるのだが・・・。CCCDも技術が進歩して、音が悪くならないようになる可能性も大なんですよ。でもそれを待っているのかっていう。(中略)なんでほかの人は言わないのかなって正直思うんですよ。』(抜粋)と発言しています。
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2004年04月17日

レザボア・ドッグス。

 ロッキング・オン社に次々と退社者が出ている。ロッキング・オン・ジャパン編集長鹿野淳に続き、ブリッジ編集部、其田尚也、そしてロッキング・オン編集部柴那典と続いている。因みにROUD4月号(石野卓球表紙)で卓球にインタヴューしているのは、以前、BUZZ編集部にいた佐藤譲である(いつのまにか辞めていた)。これはやはり以前ここに書いたようなことを感じた社員の意思表明としてある姿が「退社」なのだと思う。今のロッキング・オン社の体質は健全ではないと思う。何と言っても読者あっての雑誌だろう。CCCD問題、輸入権問題についてBBSに散々書かれてもそれを雑誌にフェードアウトできないということに、音楽ジャーナリズムの健全さはない。しかも会社内の自浄能力もなく、数々の自覚的な社員を手放してしまった事は、大きいと言わざるを得ない。しかしこの問題はロッキングオン社だけでは恐らくないだろう。大手の雑誌社は同じ問題を抱えているはずだ。音楽CDが売れないと同じく、音楽雑誌も売れない時期が続いている。地殻変動は進んでいるのだ。少しでも良い方向に向かうように努力したい。続いて輸入権問題。重いなー。けど、仕方ない。楽しく音楽を語るために。
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2004年02月15日

プラスチック・マン。

 あ〜退屈だ。「退屈」という状況には2通りあると思う。1つはやりたい事が無くて退屈。もう1つはやることはあるのにそこではできない状況に対する退屈。僕は後者である。前者の解決方法はやりたい事を見つける、後者はその環境を改善すればいいのだが、なかなかそう簡単にはいかない。だから僕はその中での折り合いをつけるためにこうして文章を書いているのだ。が、「退屈」というのは怖いもので、その状況は思考すらも停止させてしまうので、書く事も面倒になってしまう。何かネタを探しにヤフーを見たり、音楽サイトを見たりしているのだが、それにも詰まると僕は人間ウォッチャーになる。しかし、どうやらココには面白い人はいないようだ。なんか僕には皆一緒に見える。誰か僕に「チンコ・レフトからチンコ・ライトへ直させて下さい」とか「今日、毒蝮三太夫来てないんですね」とか後頭部を殴られて目の前がチカチカするような事を発してくれる素敵な人はいないのだろうか。まーいませんよ。実際来たら引くしね。
 リリー・フランキーというイラストレーター兼コラムニスト兼人間ウォッチャー兼美女評論家をしている男性(ヒト)がいる。フジテレビで放送されている『ココリコ ミラクルタイプ』で「一人おかしなポジションにいて言う事面白い率がイチロー以上のヒト」と言えば「あ〜ぁ!」とわかる人が3人位いれば良いです。その人の著書である『増量・誰も知らない名言集』はそういう退屈な日々を送っている人には『猪木詩集』並に「心のバイブル」になりうる1冊です。「いわゆる、著名人の名言ではない、ごく普通の人が思わぬところで発した心に刻まれる一言」を集めた本です。このくだりで「普通の本ではないな」と思った人、なかなか鋭いですね。この中に収録されている名言、普通に読んだらごく普通の言葉なのだけれど、それに至った経緯が書かれていてそれが、完全に前フリになっていて名言の面白さが引き立つ。僕が本を読んで笑ったのはこの本と、同著の『美女と野球』と電気グルーヴの『メロン牧場』くらいである。でもリリーさん、書いてあるのやっぱり普通の人じゃないっすよ。
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2004年01月24日

勝った負けたの猿芝居。

 スパンク・ハッピー、デートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンの主宰等のでの活動で有名なサックス奏者
菊地成孔とエロ・テロリストの
インリン・オブ・ジョイトイがもめている。事の発端は先日発売されたクイック・ジャパン52号に掲載されたインリンと菊地の対談で「デートを終えて」と題した対談後記をお互いに向けて書いているのだが、菊地がインリンに向けて「強いのは良くて弱いのはダメ。ってのはアメリカや資本主義のことなんじゃないの?」と書いた事が起因しインリンが公式サイトの掲示板で反論し、それにまた菊地が反論するという、ただのお互いの「罵りあい」状態になっている。言っておくが僕はどっちの肩を持つつもりも無い。僕が実際クイック・ジャパンの記事を(事が起こる前に)読んだ印象としては「別に〜。確かに矛盾しているかも知れないけど、皆そうじゃないの。俺もアメリカの事(ブッシュ)嫌いだけど、アメリカの音楽好きだし。」くらいの印象だった。多分菊地もそのくらいの軽い思いで指摘したのだろう。それが、両者のファンをも巻き込む事(BBSを利用している段階で、確実に確信犯だが)になって、菊地も内心ビックリしていると思う。ただインリン・サイドとしては、自身を「エロ・テロリスト」と名乗り、公式サイトのド頭でブッシュ(アメリカ)を批判している以上、これに乗らないわけにはいかなかったのだろう。菊地はある意味、アメリカの仮想敵とされたわけだ。だが、僕にはどっちも被害者であり、又加害者に見える。当たり前だが、人間生きていれば、誰彼構わず傷つけるし傷つけられる。彼らは(僕も)アメリカ主導のグローバリゼーション(超資本主義)の餌食となり、飼いならし、飼いならされているのだ。だから、どっちが勝とうが、負けようが僕にはどうでも良い事だ。不毛な争いはいい加減止めてくれ。お互い理解、尊重し合う事を止めないでくれ。きっと敵は別の所にいるのだから。
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2004年01月18日

ずっと飛んでるキブン。

 魚喃キリコのマンガが面白い。因に「なななんきりこ」と呼びます。「南瓜とマヨネーズ」「blue」「痛々しいラウ゛」「Water」の順番に立て続けに読んだのだが、普段マンガですらも集中力が切れてしまい、連続に読めない僕が、魚喃のマンガは面白くて、読めた。
 魚喃のマンガは一言で言うと「うまくいかない(歪んだ)恋愛」である。女同士の恋愛、浮気、相手に全く気がない(今後の可能性もない)のに頑張ってる片思い、など。ここに描かれている恋愛(人間関係)は全て順風満帆とはいかず、どこか歪んでいて、どこか不完全だ。そりゃ恋愛や人間関係に「完全」などあり得ないが、少女マンガによくある、結ばれる段階としての「不完全さ」という描き方ではなく、魚喃は決して結ばれないといった結論からの「不完全さ」を描いている。「ヒトは孤独である」というニヒリズムにきちんと向い合っている、という点において僕は彼女の作品を信頼している。
posted by 植木孝之 at 10:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 読本、読雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする